帰省と苦行

帰省と苦行

2017/6/23

ブログ


まちやど管理人 せい子です。

 

日本や海外で住み込みやハウスシェアなど、

様々なくらし方、働き方を経験して、

生まれ故郷の青森から、東京、イギリス、沖縄を経て

2010年より岐阜県郡上市に移住しました。

 

2014年に郡上八幡でゲストハウスを開業。

まちやど活動を通して、都会と地方、家族の枠を超えて、

それぞれが生きたい場所、暮らしたい場所で

自分らしく生きられる社会を目指して日々活動しています。

まちやど管理人 木村せい子のプロフィールは こちら

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20日に青森から戻ってあっという間に3日が過ぎました。

21日、22日と2日間は

溜まっていた仕事を片付けたり

イベントを開催したり(めちゃくちゃ楽しかった!詳細は後日)

海外からゲストさんが泊まりに来たりとかで

バタバタの2日間。

今日は少し落ち着いて、ゆっくりと外をお散歩できました。

 

会う人会う人に

「実家でのんびりできた?」

「やっぱり、自分の故郷はいいでしょう?」

って言われますが。。。

 

実は、私にとっての帰省は

一種の 苦行 みたいなもんなんですよね。

 

私はあまり恵まれた環境で育っておらず、

これから書く内容は、

親のことを悪く言うのはバチ当たりだ!

なんていう人もいるかもしれないし

こういう場で書くにはふさわしくない内容かもしれません。

 

でも、一個人として、

育った土地と別の場所(郡上)で暮らす人間として、

私自身の人生をそのまま受け入れるために

育った土地や環境、育ててもらった両親のこと

そして、両親のこれまでの人生を受け入れるということが

とっても重要だと思ったので、

あえてこうしてブログで残そうと思いました。

 

私は、青森県の六ケ所村という小さい村の僻地で

鮮魚店を営む両親と、姉1人、兄2人、私の

6人家族、4人兄弟の末っ子として育ちました。

生い立ちから、郡上に来るまでの経緯は、

全労済さんで取材された記事があるので、ご興味ある方はどうぞ。

 

両親は、今思えば、それなりに愛情を持って育ててくれたとは思うのだけれど

愛情表現が下手な上に、口ベタでネガティブな発言しかしない人たちでした。

特に母は、

「お前たちのために頑張って働いてるんだ」

「子供がなかったら、あんなお父さん置いて逃げてる!」

と、いつも言ってたし

5歳ぐらいの時かな?

「あんたは余分な子だった!!」

って言われたことがありました。

今思えば、4人も子育てしながら家業を支えるなんて本当に大変なことだもんね。。。

当時の母の年齢を超えた今となっては、そんな母の辛さも理解できるけれど、

幼少の私にはトラウマでした。

今はそういうトラウマもある程度解消して、

「はい、余分だった子からのプレゼントですよー。産んでおいてよかったねー」

なんて、冗談にするぐらいの余裕ができましたけどね 笑

 

商売をしているから、何事もお金で考える思考が植えつけられました。

この手伝いをしたら◯◯円得する。これをやらなかったら◯◯円損する。

みたいな。。。

さらに、

「人は、見かけによらない」

=表向きいい人でも、何かしら下心があるから注意しろ!

「苦労してこそ幸せになれる」

=苦労しないと幸せになれない=苦しい道を選べ。

「女は男のために使えて、耐え忍ぶ生き物だ」(母)

=女が自分の生きたいように生きることはできない。

そんな言葉を浴びせられ続けて育ったので、

私自身、親元を離れてしばらくは、

何事もお金優先。

発言も行動もネガティブ。

あえて苦しい道を選んで、

「あー、苦しい。。。でも、これもきっといつか幸せになるためなんだ」

そんな風に生きてきました。

 

 

結果、体にいろんな病気を抱えて

魂の奥底までネガティブでどっぷり染まっている自分を自覚して、

東京を飛び出し、沖縄を経て郡上に来て

いろんな人のポジティブな言葉を浴びさせてもらって

いろんな家族のあり方、いろんな子育ての仕方を見てきて

ポジティブもネガティブも、表裏一体。

自分の受け取り方次第なんだ!と気づけたのは最近。

 

早い段階で親元を離れていろんな経験をして、

両親と離れた場所にいる今だからこそ、

そういう風に育てられた自分を客観的に自覚できるし

時間はかかったけれど、今はそんな自分の生い立ちも、

だいぶ自然に受け止められるようになりました。

 

時々こうして帰省して、

相変わらずネガティブな両親の言動を見てると

自分の暗黒の幼少期、育った環境、心が貧しかった頃を

改めて見せつけられて、目がそらせない

 

でも、だからこそ私は青森を出るという決断をしたんだ。

と、強い確信につながります。

 

そういう意味で、

私にとって、帰省はある意味

苦行 みたいなものなんです。

 

実家には自分が心地よいと思える居場所がなくて

自分の居心地のいい場所を探して

東京や海外や沖縄を放浪して郡上にたどり着いた。

じゃあ、郡上が居心地いいかと聞かれれば

 

いいところも悪いところもある

 

改めて青森に1週間滞在してみて気づいたけど

青森だって同じ。

 

いいところも、悪いところもある

 

結局、

今ここにある自分をどれだけ大切にできるか

それが、居心地の良さや幸せにつながるってこと。

そして、私は今、たまたま郡上にいるから、

今ここにある自分、ここにいる自分を

大切にして生きていきたいと思った。

 

多分、青森での苦しい幼少期がなかったら

たどり着けなかった答えだと思う。

 

そしてもう一つ。

今までは、

お父さんに虐げられてお母さんがかわいそう、とか

お母さんが家事が下手だからお父さん大変だな、とか

自分のスケールで両親の人生を計ってきてた自分がいて、

両親をなんとかしてあげたいな。。。って

郡上に呼ぶことも考えたりしたんだけど

 

お父さんもお母さんも(お兄ちゃんもお姉ちゃんも)

グダグダ愚痴言って文句ばっかりたれてるけど

 

結局ぜんぶ、自分で選んだ人生なんだよねー

 

ってことです。

 

なんとかしてあげたい!なんて思うから

なんともならない現実が苦しくて辛くなったりしたけど、

その不幸っぷりが、本人たちにとっては幸せ(ドM!!!)

だったりするんだから

それは、家族であれ他人がどうこう言えることじゃない

結局、それでいいんだよね。

ってことです。

 

口では「親の近くにいるのが幸せだぞ!」とか、

「そんなに遠くに行かなくても。。。」とか言われるから

離れた土地で暮らす自分を、とっても親不孝ものなのではないかと

罪悪感を感じることもあるのだけれど

末っ子と離れることも親が選んだ人生。

親と離れることは私が選んだ人生。

 

ただそれだけのことなのですね。

 

それにしても、改めて訪れた青森は

食べ物美味しい!景色最高!

空気が爽やか!

海鮮食べまくって帰ってきました。

 

IMG_9580

写真は、新緑の奥入瀬渓流。

高校時代を過ごした十和田市から車で30分ほど。

住んでた頃はなかなか行かなかったけれど

改めて訪れたら、やっぱり気持ちいい場所でした。