人生の棚卸し

2017/4/17

その他


まちやど管理人 せい子です。

郡上八幡でゲストハウスをやってます。

郡上に来るきっかけ、ゲストハウスを開業した経緯は
ココロココさん http://cocolococo.jp/2283
全労済さん http://www.zenrosai.coop/stories/kurashi/challenge/21.html
にて取材してもらった記事がありますので、ご興味のある方はどうぞ。

 

そろそろ、↑の自己紹介も

取材していただいた記事ではなく、自分の言葉で書きたいなあと

プロフィールをまとめるにあたり

ただいま、自分の人生の棚卸し期間でございます。

 

 

ってことで、今日は 棚卸しの続き

 

 

今回は、東京を離れたもう一つの理由について書きたいと思います。

 

 

郡上に来る前、東京では

福祉住環境コーディーネーターというお仕事をしておりました。

 

どんなお仕事かざっくり言うと、

高齢者や障害者が、できるだけ自立して暮らせるような

住環境を提供するアドバイスをするお仕事です。

 

もうちょっと具体的に説明すると。。。

例えば、おじいちゃんが脳梗塞で倒れて入院

片麻痺が後遺症として残る。

退院後の自宅での家族の介護状況や、本人の自立への意思や生活習慣

そして、もちろん、家族の経済状況

じ〜〜〜っくりヒヤリングして

手すりをつけたり、和式便器を洋式に変えたり、

車椅子でもアプローチできるようにドアを引き戸にしたり

浴槽の深いお風呂を介助入浴しやすい形に替えたり、

場合によっては、寝たきりになった方をケアするための

天井走行リフトを導入するための天井、壁補強をしたり

総合的な住環境整備のプランニングやら、大工さんの手配やら

介護保険系の書類作成やらをしておりました。

 

若い方で障害を受けられた方の住環境整備の案件もありましたが、

仕事の99パーセントは高齢者の介護に向けての住環境整備がほとんどでした。

 

関わる方は本当にいろいろ

都内の一等地にある戸建ての家に一人暮らしの高齢者で

お手伝いさんも雇って、生活には何不自由なさそうだけど、

同じ都内に住んでいるという息子さん夫婦が

彼女の家を訪ねることはほとんどなく

かつて家族で暮らした大きな一軒家に一人で暮らし

毎日お手伝いさんが作っていったご飯を一人で食べる

彼女はいつも寂しそうに見えました。

 

おじいちゃんが一人でお風呂に入れるようになるためには

昔の浴槽が深いお風呂を改修したいんだけど

改修費用がどうしても出せないから。。。

でもなんとか家族みんなで協力して

おじいちゃんを自宅でおふろに入れてあげよう!って

家族会議を開いた場にアドバイザーとして呼ばれたこともありました。

 

 

お風呂が大好きなおじいさんで、

ご本人がトイレやお風呂は自立したいと住宅改修を希望しても

「老い先短い年寄りにお金を出すなんてもったいない。

住宅改修はしなくていい」

と、家族の同意が求められず、

環境が整えば自分でなんでもできる能力が残っている方でも、

オムツをつけられ、訪問入浴で週2−3回しかお風呂に入れない

という方も。

 

関わる人の中には、もちろん、

病状が悪化して亡くなる方も多数いました。

 

仕事を通じて、

目の当たりにした、東京での高齢者介護の現実。

 

老いていき、人生の最後に向かう人たち、

取り囲む家族の様子を見て

 

 

私は、どんなん老後を迎えるのだろうか。

豊かさって、何なのだろう。

 

 

そんなことを考えさせられる日々。

 

とはいえ仕事は忙しく、連日の残業。

やってもやっても終わらない仕事。

どんなに頑張っても給料はたいして上がるわけではないから

もっといいお仕事、もっとスキルアップ!って

常に新しいことを学び、身に付けるために自己投資して

毎月決まったお給料から家賃と生活費に半分はなくなる上に

さらに学費につぎ込んでいたけれど、

当時体調を壊した私は、

病院代、検査代、薬代と、さらに出費は重なって

 

東京で老後を迎えるイメージどころか、

この先、3年後の東京での暮らしが全くイメージできない

 

 

追い打ちをかけるように、失恋。。。。

 

 

そんなこんなで、2009年夏、

東京の暮らしに限界を感じて、沖縄に飛び立ったのでした。

 

当初は、移住する!なんて意気込みはなくて

ちょっと東京離れてみるか。

また戻りたくなったら戻ってこれるから。

 

というノリだったのだけれど、

沖縄の後、2010年2月に郡上にやってきて

約1年の季節労働的な自然体験のお仕事が終わり

4月から明宝での地域おこしの仕事が決まってはいたけれど

まだ、当時は郡上に根をはるぞ!なんて覚悟はなかった。

 

ちょうど2月いっぱいで仕事が終わって、

4月からの地域おこしのお仕事スタートまで時間があるから、

久しぶりに実家青森に帰ろうと、

帰省の途中、友達と会うために東京に滞在中

 

 

 

3月11日 東日本大震災!

 

 

 

そして、東京で帰宅難民になる。。。!!

(徒歩3時間かけて友人宅に戻る)

 

そして、帰省の北上の手段絶たれる。

 

数日後、東京、食糧難になる。。。!!

 

関東パニックの中、郡上に戻ってくる。

(郡上、何事もなかったかのように、平和。。。)

 

そんなこんなで、

私、やっぱり東京では生きていけないかも。。。って

 

その辺りから、本気で郡上で暮らしていくということを

考え始めた気がします。

 

 

郡上の皆様、すみません。。。

この町がすっごい好きだから移住しました!

ってわけではないのです。

 

郡上に来るまでの私の人生、

すべて消去法で選んでましたから。

 

そして、郡上に来て7年でやっと

数ある選択肢の中から

「自分が好きだから、ここで暮らしたいから郡上にいるのです!」

 

と言えるようになりました。

 

でも、7年経って感じることは、

「暮らしたい」と「暮らせる」は違うんですよね。

 

8年目のこれからは、「(私が)くらし続けられる郡上」にするために、

少しずつ、自分の環境を整えていきたいと思っています。

 

 

「暮らしたい」と「暮らして欲しい」

も違う。

私は、この両方バランスが取れていないと、

私自身の居心地がよくない気がします。

 

結果的に、私が「好き&できること」から発する波紋が

「(周囲が私に)暮らし続けて欲しいと思われるように」

広がっていけばいいなあなんて思っております。

 

これから、いろいろ楽しいことを妄想中。

むふふふふ。